ガソリンスタンドで手洗い洗車をお願いした。(¥2,520) 注力して貰いたい点として、ホイールの汚れが気になっている旨を伝えた。 数十分待った後、「終わったので確認して下さい」と言われ、写真の状態を見せられた。 そのままサインして車を引き取った。 果たしてこの場合、「全然汚れが取れてない」とクレーム付けて良い場面だろうか? 個人的には、この状態で平気で確認して欲しいと言える相手に、これ以上何を言っても無駄、僕の言わんとしている事は伝わらない、と言う”直感”でノークレームとした。 ここまでやってくれれば、後は自分でやっても大した手間じゃないという判断もあった。 それ以上に大きかったのが、¥2,520しか払ってないのに、クレームなんか付けちゃ申し訳ないというのがあった。 仮に、倍の¥5,000払ってたとしたらどーだろう? と思うけど、¥5,000だったら最初から頼まないので、この仮定は成立しない。 ¥2,520だから買ったサービスだし、相手は¥2,520分の労働を提供したに過ぎないとも言える。 このサービスに関して、いくらならこんな出来上がり、という明確な基準が売る側にも買う側にもないから、正解が判らない。 最近思うのは、ICT業界も同じ様な状況ではないか?ということ。 開発にしろ、運用にしろ、いくらならこんな仕上がり、という明確な基準がない。 ITSS の様な、サービス提供側スキルの標準化を図る試みはあるが、対価と仕上がりに対するイメージを買う側も売る側も、それに絡めて持つに至っていない。 勿論、ICTが生み出すシステムやインフラが安かろう、悪かろう、であって良い筈はない。 しかし、高級なICTサービス、そうでないICTサービスのイメージを売る側も買う側も差別化できないと、ICTが真のこれからの社会基盤にならないような気がする。 例えば宿泊業。 一泊¥5,000の部屋と¥50,000の部屋の違いは、売る側も買う側も最初から違いが判っており、市場の棲み分けができている。 5,000の部屋に露天風呂が付いてない!と言って憤る人は居ないだろう。 飲食店然り。 ¥280円の牛丼チェーンと¥28,000のフランス料理店が住み分けて外食産業を形成している。 ¥280でフォアグラが食えない!と誰も文句を言わない。 安い高いの善...